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第1回 ~祖母の思いで~


■私の原点

3歳の時に両親が離婚、5歳の時に新しい母がきました。 しかし、新しい母との生活は私にとって決して楽しい生活ではありませんでした。昔話のシンデレラ(ちょっとカッコ良すぎかも?)を想像してもらえると良いかもしれません、言うことを聞かないといっては食事を抜かれ、裏庭の木に夜まで括られたり、朝起きるとまず、生まれたばかりの妹の子守をして、それから外の井戸で顔を洗って小学校へ通い、担任の先生が髪を梳かしてくれて「おはよう、がんばれ」笑顔で迎えてくれたのを覚えています。
お隣のおばさんが食事を抜かれた私にそっとおにぎりを持ってきてくれた事、私の事で父と義母とけんかをすると死んでやると包丁を持ち出すのが、子ども心にとても怖かった事、小学校一年6歳でした。
父が結核を煩って入院をしたのが小学校一年の夏、その秋からは祖母の所へ里子に出されて、20歳まで父とも義母とも、もちろん妹とも暮らす事は無かったですね。
義母との生活の中でうれしかった事が一つありました。夕食の天ぷらの味見にお芋を一つ貰ったときの義母の笑顔とお芋がとてもうれしかった事。対した事でもないのにいまだに鮮明に覚えているのは、気にかけて貰える事はとてもうれしい事だからだと思います。

祖母と父の妹である叔母との生活も変に貧乏でした。学校の給食費は、先生から“お前はいいぞ”と言われ、でもそれがかっこ悪いとも思わなかったし、周りの子達からその事でからかわれる事も苛められる事も何もなかったのは、時代の性だけだったのでしょうか? どうなんでしょうね。
小学校の頃はいじめとかは無かったですね、ガキ大将はいましたけど。弱い者いじめはガキ大将の面子に関わるのか、なかったです。
小、中学時代、学校一走るのが速い事で、運動会は主役だった事、小学校から大学まで体育と言う科目はトップだった事、中学の時代全国放送陸上で100メートル走3位だった事、運動神経が私を支えてくれたと、今でもこの点は親に感謝しています。
祖母は学生対象の下宿で生計を立てていました。(下宿屋のおばあちゃんです) 中学生からは家の手伝いで、料理、後片付け、掃除、(共同便所、風呂)学校と部活以外は手伝いに明け暮れていました。そのお陰で料理も掃除も今でも得意ですよ。(友達とあんまり遊べないのがちょっと詰まらなかった事は本当です。)下宿のお兄さん達が可愛がってくれたし、勉強も結構見てくれたのは、特典でしたね。家族ではないけれど、一つ屋根の下に沢山の同居人がいるのは楽しい事でした。誰かが見ていてくれたり、気にしてくれる事が頑張れる力になるんです。「人は誉めて育てろ」と言われますよね、誉めて育てると言う事は、気にして見ていて揚げること、それだけで頑張れる力が沸いてくるんですよ。
3歳で母と別れ、6歳で父と離れ、20歳まで父とは、1年に1回しか会う事が出来ない状況でしたが、父は今の生活を守りたいそんな思いだけで一杯で、私の事を考える余地がまったく無かったからだと思います。「我慢、我慢、」我慢すると、忘れる事が出来るの事をこの時学びました。義母とあの生活をする位ならなんでも我慢が出来た事も大きい理由でした。

 

■祖母達との生活が変に貧乏な訳

祖母は生粋の江戸っ子で、女優の山田五十鈴さんによく似た美人で写真館の看板に選ばれた経歴をちょっと自慢にしていました。
祖母は、若い頃、銀座の三越や日本橋の三越の隣に製本所を構える大店へ器量望みで輿入れをしたそうで、大正の初期にその頃珍しい車での嫁入り行列だったそうです。私の祖父は食道楽の着道楽で随分と贅沢をしたそうです。父が成人になる頃、祖父の大店と言われた製本所も文庫本(岩波書店)の発売に押され傾き、その後祖父は病で亡くなり、製本所も無くなったそうです。
東京の内藤新宿と言う所があります。昔ここに内藤子爵のお屋敷が在ったそうで、祖父の妹が此処に嫁いだと聞きました、後に離婚したそうですが。
私は写真と祖母の話でしか知りませんが、昔の自慢話は祖母の生きる支えだったようです。その江戸っ子の祖母のお陰で季節の変わり目に必ず年中行事のように質屋通いの見張り番をやらされました。
ちょっと気張って見張り番をしていました。
人の役に立つ事(?)で存在理由が子どもながら見つけられたのかも、と思います。
90半ばで亡くなりましたが、床に臥すまで、夏は絽か紗で冬は銘仙にお召しと着物をゆったり着こなし、貧乏な癖にご隠居さんを装っていました。それはそれで、大したものだと関心しますが、その頃の私には理解しがたい面白くもありの迷惑祖母でした。
その祖母の一番の宝物が嫁入りに持たされた由緒ある「ぬか床」それはそれは大変な可愛がりようでした。きびしょ・・・急須、おてしょ・・・こざら そんな言葉が日常飛び交う生活は今はどこにも無いですね。



大人は皆、昔子供の頃があったのに、忘れてしまったり、思い起こす事をしなくなったり、思い出す必要もなくなったりします。改めて子供の頃を思い起こしながら、色んな経験が原点となって今の私を作っているのだと言う事を再確認しています。子供の時を人間の土台としてその上に色んなものを積み重ねて大人に成っていくのだからいい物を積み重ねさせたい、そしていい土台を作る手伝いを大人達は皆積極的にして行かなければならないのではないでしょうか。


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