地球人を育てよう 代表 島田葉子コラム 

第2回 ~私の子供時代~

■1950年代、面白かった事がたくさんあった。


おやつは5円か10円、この頃公園や空き地に紙芝居のおじさん(おばさんはどうしてだか、いなかった)が来ると、お小使いを貰って飛んで行きました。5円だと水あめだけ、もったいなくて割り箸2本に絡ませてあ る水あめをよく練ると水あめは透明から白くなる、別にそれ以上でもそれ以下でもないけれど、すぐに食べるのがもったいないからの理由だけで練っていた、

その他には、アイスキャンディ、割り箸を芯に細長いアイスキャンディを箱に自転車で売りに来るおじさんや「ポンせんべい」といって、自宅から米を持っていくとその場で鉄の丸い皿に米を入れ、上から鉄の蓋をする。少したつと「ポン!」とちょっと大きな音がする。鉄の蓋を開けるとそこに丸く白いそしてちょっと甘いせんべいが出来上がっているというものだ。 このポンせんべいのおじさんも自転車でやって来た。


10円をしっかり握って駄菓子やへ行くと、そこにはいつもおばあさんが店番をしていた。 時々はっか飴を1ヶおまけしてくるのがすっごくうれしかった。大人になった今でも“おまけ”はうれしいものだし、おまけを見るとつい手を出してしまうのは、郷愁のなせる業かもしれないと思う。

お使いに行くと近所のおばさんはえらいね、と声を掛けてくれたし、食料品屋のおじさんも良い子だねなどと褒めてくれた。


まわりの大人達は良い事や悪い事に対しても自分の子のように褒めたり怒ったり、感心を持っていてくれたような気がする。 いつの日か、大人は子供を叱らなくなったような気がする。 自分の子を叱る事にも戸惑っているのは何故だろうか?

叱る責任を取れないからなのだろうか?それとも、他人事だからだろうか?


子供は社会の宝、であり地球の宝であるのだから、大切に見守らなければならないのに大人達は見て見ぬ振りをする、頑張ろう大人達、私は両親の愛に育まれて恵まれた環境の中で大人になった訳ではないが、周りの大人達に見守られてきたと思う。



■“運動会”でおもうこと。


小学校の頃、1年に1度私が主役の場がある。運動会である。

特にかけっこは花形と言うか、スター?と言うか前回にも自慢をしたけれど、唯一無二の私の出番であった。

一等賞は赤いリボンにノートとえんぴつ

二等賞は黄色のリボンにノート

三等賞はピンクのリボンにえんぴつ

参加賞はえんぴつだけ


頭で駄目なら、体で勝負!! どこかでなにかで自分を評価出来たり、認めて貰える場所があったのだ。 今は全部一緒、順位を付けたり差を付ける事をしなくなった、でも勉強の点数はちゃんとつけるのは何故だろうか?

子供たちは自分の良さも悪さも自覚出来なくなっても良いのだろうか?

絵を描くのが上手な子、作文を書くのが上手な子、歌を歌うのが上手な子、

勉強の出来る子、運動の出来る子、器用な子、不器用な子、全部個性なのに、


見てあげようよ、感じてあげようよ、褒めてあげようよ!


子供たちの全てを、私たち大人が見なくて誰が見てあげられるのだろうか。


話を基に戻します。

もちろん私は赤いリボンを誇らしげに胸に付けてもらい、また来年も頑張るぞ~と自分に誓ったものでした。運動会が終わった後も暫くは近所のおばさんや友達のお母さんに“葉子ちゃんは早いよね~、見ていたよ”なんて褒められてうれしくて、1年に1回しか運動会がないのはつまんない、もっと沢山あればいいのにと思ったものでした。

勉強は毎日あるし、試験だって一学期も二学期も三学期もあるのに、不公平だとマジで考えました。


運動会の話でもう一つ、あの頃あって今ない物、地下足袋、(白い足袋の裏に人工の皮が縫い付けてある物、運動会の時だけ文房具やさんで売られる物で、全員が必ず履いていた、子供だけ)

私の記憶だと小学校の時だけでしたが、そしてお昼のお弁当は、朝早くから陣取りした家族の席でおにぎりやおいなりさん、玉子焼き、とこの時ぐらいしか口に入らないバナナを食べたものでした。 でも私の息子の時はお弁当は教室で親とは別に訳は(家族がこられない子に寂しい思いをさせないように)との学校?の配慮からか? わたしの頃も家族がこれない人も沢山いた。でもどこかの家族の中に混ざってワイワイやっていたけれど、いけないのかなあ~。


子ども達の運動会が今一つ白々しい感じがして、正直言ってつまんなかった。 その代わり、大声で応援をして、息子から、ちょっと恥ずかしかったなんて言われてしまったけれど。 

でも中学卒業までは毎年、息子の騒ぐなの忠告も?聞かずに、ぎゃ~ぎゃ~応援をしました。自分の運動会でなくてもやはり燃えます。

ぺけだって、びりだって(おんなじ事)汗かいて頑張って、くやしがって、よろこんで、みんな思い出なのに…。 大人になって思い出す、甘くて、すっぱくて、にがい思い出、うれしい事もつらい事も大人になる養分なのに…。 差別をしないのなら全部しろ、ここだけ、あそこだけ、では無責任ではありませんか・・・とわたしは思います。



■便利なもの、でも…


2003年の今、昭和20年代が見直されて(ブームかな)います。

今にくらべれば大した物もなかった時代でした、便利な物もなかったけれど。 しかし、便利な物は確かに便利なのだが、それと引き換えに失う事も多いと、私は思う。


例えば、電話。 あの頃は一軒に一台電話があったかと言うと「NO」でした。 隣の家の電話を借りたり…。 テレビにしても同様で、私の家にテレビが来たのは中学生の時だった。 友達と遊ぶ時は家まで行って声をかけたり、学校で約束したり、もっとコミニュケーションを取っていた。 友達とはもちろんの事であるが、大人たちと話す機会がたくさんあった、と言うより、話さなければならない状況だった。


でも私は便利を否定しているわけではない。 使う私たちが考えれば“良い事”であって、考えずに使うと失う物が多くなるのである。


次回は「知識と知恵」を考えて見ましょう。